先進第十一(22)
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子(し)匡(きょう)に畏(い)す。顏淵(がんえん)後(おく)る。子曰はく、「吾(われ)女(なんぢ)を以(もっ)て死(し)せりと為(な)す。」曰(い)はく、「子(し)在(いま)す。回(かい)何(なん)ぞ敢(あ)へて死(し)せん。」
(訳)孔子が匡人(きょうじん)に囲まれて警戒した時、顔淵(がんえん)は孔子を見失って孔子より後(おく)れてしまった。ようやく難を免(まぬか)れて孔子の居る所へ来たので、孔子が喜んで、「わしは汝(なんじ)は匡人(きょうじん)の手にかかって死んだものと思っていたのに、よく生きていてくれた。」と曰(い)われると、顔淵(がんえん)「私(わたくし)の一身(いっしん)は先生によって生(い)きもし死(し)にもするのでございます。先生が御無事(ごぶじ)でいらっしゃるのに、私がどうして軽々(かるがる)しく匡人(きょうじん)の鉾先(ほこさき)にかかるようなことを致(いた)しましょう。」
著者の解説では、「匡人(きょうびと)其(そ)れ予(われ)を如何(いかん)せん。」といったのは孔子がこれを道に決したのである。「子(し)在(いま)す。回何(なん)ぞ敢(あ)へて死(し)せん。」といったのは顔子(がんし)がこれを孔子に決したのである。各(おのおの)憑(よ)る所があるけれども、主(しゅ)とする所は同じである。と書かれていました。
孔子が顔淵を心の底から信頼し、顔淵もまた孔子を絶対的な存在として信頼していたことが分かりました。
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