子曰はく、之(これ)を導(みちび)くに政(せい)を以(もつ)てし、之(これ)を斉(ひと)しうするに刑(けい)を以(もつ)てすれば、民(たみ)免(まぬか)れて恥(はぢ)なし。之(これ)を導(みちび)くに徳(とく)を以(もつ)てし、之(これ)を斉(ひと)しうするに礼(れい)を以(もつ)てすれば、恥(は)ぢ且(か)つ格(いた)るあり。
(訳)政と刑と徳と礼とはみな治国の用具であるけれども、人君(じんくん)がまず法律を示して民を導いて善を行い悪を行わぬようにさせ、もし従わない者がある時は、刑罰を加えて一様に従うようにするならば、民はただ刑罰を免(まぬか)れようとして悪をすることを恥じる心はない。人君がまず自ら道にかなった行いをして民を導いて善を行い悪を行わぬようにさせ、もしこれに従わない者がある時は、礼という中正(ちゅうせい)を得た行為の準則(じゅんそく)をもって、過ぎた者を抑え、及ばぬ者を引き上げるようにすれば、民は悪を恥じ、なおまた善に至るようになる。
著者の解説では、政刑(せいけい)と徳礼(とくれい)との効果の相違を述べ、徳礼が本(もと)で政刑は末(すえ)であることを示したのである。と書かれていました。
政刑とは「政治を刑罰によって行う」ことで、徳礼とは「ひとが備えるべきもっとも重要な徳」のことです。中正とは「立場が一方に偏らず、正しいこと」です。刑罰によってではなく、道徳によって物事を行うべきなのだと分かりました。