子曰はく、篤(あつ)く信(しん)じて学(がく)を好(この)み、死(し)を守(まも)りて道(みち)を善(よ)くす。危邦(きほう)には入(い)らず、乱邦(らんぽう)には居(お)らず。天下(てんか)道(みち)あれば則(すなは)ち見(あらは)れ、道(みち)なければ則(すなは)ち隠(かく)る。邦(くに)道(みち)あるに貧(まづ)しく且(か)つ賤(いや)しきは恥(はぢ)なり。邦(くに)道(みち)なきに富(と)み且(か)つ貴(たふと)きは恥(はぢ)なり。
(訳)厚く聖人の道を信じて学を好んで真正(しんせい)の道を明らかにし、死んでも変わらぬ程に堅く道を守って道に外(はず)れないようにする。滅亡しそうな国には、避(さ)けて入(い)らず、綱紀(こうき)の紊乱(びんらん)した国には、去って長くおらず、天下が治まって正しい道の行われる時には出(い)でて仕えて道を行い、天下が乱れて正しい道の行われない時には道を抱(いだ)いて退(しりぞ)き隠(かく)れる。世の中が治っている時は君子の出(い)でて仕うべき時であるのに、用いられないで貧賤(ひんせん)の地位にいるのは、行うべき道がなくて棄(す)てられたのであるから、恥辱(ちじょく)である。世の中が乱れている時は君子の退き隠るべき時であるのに、富貴(ふうき)の地位にいるのは、節操(せっそう)がなくてただ禄位(ろくい)を貪(むさぼ)るのであるから、恥辱である。
著者の解説では、この章は学ぶと守るとの貴(とうと)ぶべきことを説いたものである。第一節は学ぶと守るとによって明らかに知り正しく行うことを述べ、第二節はその進退の道にかなうことを述べ、第三節はこれを反言(はんげん)したのである。と書かれていました。
理想的な人間が取るべき行動と、時代の状況に応じて身を処する姿勢、そして社会における真の恥とは何なのかということが分かりました。


