アキヒロ号のブログ
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本の紹介

雍也第六(3)

子華(しか)、斉(せい)に使(つか)ひす。冉子(ぜんし)、其(そ)の母(はは)の為(ため)に粟(ぞく)を請(こ)ふ。子曰はく、「之(これ)に釜(ふ)を与(あた)へよ。」益(えき)を請(こ)ふ。曰(い)はく、「之(これ)に庾(ゆ)を与(あた)へよ。」冉子(ぜんし)(これ)に粟(ぞく)五秉(ごへい)を与(あた)ふ。子曰はく、「赤(せき)の斉(せい)に適(ゆ)くや、肥馬(ひば)に乗(の)り、軽裘(けいきゅう)を衣(き)たり。吾(われ)(これ)を聞(き)く、『君子(くんし)は急(きゅう)を周(すく)ひて富(とみ)を継(つ)がず』と。」原思(げんし)、之(これ)が宰(さい)となる。之(これ)に粟(ぞく)九百(きゅうひゃく)を与(あた)ふ。辞(じ)す。子曰はく、「毋(なか)れ、以(もっ)て爾(なんぢ)が隣里(りんり)郷党(きょうとう)に与(あた)へんか。」

(訳)孔子の弟子の子華(しか)が、孔子のために斉(せい)の国へ使いに行った。相弟子(あいでし)の冉子(ぜんし)が、子華の母のために、孔子に粟(ぞく)を請(こ)うた。もし子華の留守中母の生活を支(ささ)えることができないならば、冉子が請わなくても孔子はこれに粟を与(あた)えたであろうけれども、子華の家は富んでいるから与える必要はなかったのである。孔子は直(ただ)ちにこれをことわりもしないで、「釜(八斗四升)を与えよ」と曰われた。冉子はあまり少なすぎるので、今少し益(ま)すことを請うた。孔子は「庾(ゆ)(一石六斗)を与えよ」と曰われた。冉子はまだ少なすぎることを病(うれ)えて、己(おのれ)の考えで粟(ぞく)五秉(八十石)を与えた。孔子が曰われるには、「赤(せき)(子華の名)が斉へ適(い)った時には、肥(こ)えた馬に乗り、高価な軽い裘(かわごろも)を著(き)ていた。赤の家は富んでいるのである。わしの聞くところによれば、『有徳(ゆうとく)の人は貧窮(ひんきゅう)の人には不足を補(おぎな)ってやるが、富んでる人には更にその上に増し加えてはやらぬものだ』ということである。」といって、冉子が粟を与えるのは富める上に更に増し加えるので、君子の財を用いる道ではないことを諭(さと)した。原思(げんし)が孔子の宰(さい)(代官)となった時、孔子はこれに俸給(ほうきゅう)として粟(ぞく)九百を与えた。粟九百は当時の代官の俸給であるから、これを受けるのが当然であるのに、原思は辞退した。孔子が曰(い)われるには、「辞退するな。これは汝(なんじ)の当然受くべき報酬(ほうしゅう)である。もし家に用いて餘(あま)りがあるならば、汝(なんじ)の隣里(りんり)郷党(きょうとう)の貧者(ひんしゃ)に与えればよいではないか。」

著者の解説では、冉子(ぜんし)は与(あた)うべからざるに与え、子華(しか)は受くべからざるに受け、原思(げんし)は辞すべからざるに辞したので、みな事の宜(よろ)しさを得ないのである。と書かれていました。

隣里郷党(りんりきょうとう)について、五家を隣、二十五家を里、一万二千五百家を郷、五百家を党というそうです。自己の利益を顧みず、困っている人々を助けることを重視し、富を追求しないことが重要なのだと分かりました。

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