子夏(しか)孝(こう)を問(と)ふ。子曰はく、色(いろ)難(がた)し。事(こと)あれば弟子(ていし)その労(ろう)に服(ふく)し、酒食(しゅし)あれば先生(せんせい)饌(せん)す。曾(かつ)て是(これ)を以(もっ)て孝(こう)と為(な)さんや。
(訳)子夏が孝道を問うた。孔子が曰われるには、「親に事(つか)える際、和らぎ楽しむ様子が自然と容貌に現れることがむつかしいのである。もし父兄になにか仕事のある時、子弟たる者がこれに代わって労役に服したり、子弟が酒食(しゅしょく)のある時、父兄に進めて飲食させるようなことを世間では孝だと思ってるけれども、どうしてこれを孝といわれようか。」
著者の解説では、親に事(つか)えるには和らぎ楽しむ様子が自然と容貌の上に現れるようにすべきことを述べた。と書かれていました。また、以上の四章において四人が同じく孝を問うているのに、孔子の答えがそれぞれ異なっていることに触れ、問うた人の材能(ざいのう)に高下(こうげ)があり、欠点に差違があるから、これに応じて答えたためとしていました。
子夏は孔門十哲の一人で、論語にも何度か登場する人物ですが、孔子が子夏に教えた孝は、色(和らぎ楽しむ様子が自然と容貌に現れるようにすること)でした。孔子が七十の時に達した境地、心のままに行動しても礼儀や規則に外れないようになること、自然に良い状態になっていることを目指していたのかもしれません。


