先進第十一(10)

顔淵(がんえん)死(し)す。門人(もんじん)厚(あつ)く之(これ)を葬(ほうむ)らんと欲(ほっ)す。子曰はく、「不可(ふか)なり。」門人(もんじん)厚(あつ)く之(これ)を葬(ほうむ)る。子曰はく、「回(かい)や予(われ)を視(み)ること猶(なほ)父(ちち)のごとし。予(われ)視(み)ること猶(なほ)子(こ)のごとくするを得(え)ず。我(われ)にあらざるなり。かの二三子(じさんし)なり。」
(訳)顔淵が死んだ時、その門人がこれを厚く葬(ほうむ)ろうとした。孔子がこれを知って「それはよろしくない」と曰(い)って止めたのに、門人たちは厚く顔淵を葬(ほうむ)った。孔子がこれを責めて曰(い)われるには、「回(かい)はわしを父のように視(み)ていたが、わしは回を子のように視(み)ることができないで、回を葬る時にはわが子の鯉(り)を葬った時のように葬儀(そうぎ)の道具が礼(れい)に合(がっ)することができないで、回の心を安(やす)んずることができなかった。しかしこれはわしの過(あやま)ちではない。わしは止めたのに、かの門人たちが従わないでこんなことをしたのだ。」
著者の解説では、顔淵(がんえん)が死んだ時、孔子が、「天(てん)予(われ)を喪(ほろ)ぼす」と嘆(たん)じたり、これを哭(こく)して過度(かど)に悲哀(ひあい)したりしたのは、顔淵を重んじたのではない。道を行ったのである。顔路(がんろ)が車(くるま)を請(こ)うて椁(かく)を為(つく)ろうとしたのを却(しりぞ)けたり、門人(もんじん)が厚く葬(ほうむ)ったのを責めたりしたのは、顔淵を軽んじたのではない。これも道を行ったのである。と書かれていました。
孔子が個人的な悲情に流されず、礼は実態に伴うべきだという原則を貫いたのだと分かりました。
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