子曰はく、詩(し)に興(おこ)り、礼(れい)に立(た)ち、楽(がく)に成(な)る。
(訳)詩は人の性情に本づいて、知り易(やす)く又能(よ)く人心(じんしん)を感動させるものであるから、学者が詩を学ぶならば、善を好み悪を悪(にく)む心が自然に起るものである。礼は恭敬(きょうけい)辞譲(じじょう)を本(もと)として内心(ないしん)外形(がいけい)共に中正(ちゅうせい)を失わないようにするものであるから、学者が礼を学ぶならば、その心が正しく定まって何物にも動かされないようになる。楽(がく)は人の性情を養ってその穢(けが)れを去り、滓(かす)を除いて純熟(じゅんじゅく)させるものであるから。学者が楽を学ぶならば、純粋(じゅんすい)至善(しぜん)の地位に到達(とうたつ)して学が大成するのである。古人の学問には詩(し)礼(れい)楽(がく)があるけれども、これを学ぶのには次第(しだい)があって、まず善を好む心の起るのは詩の力により、次に善を行う心を定めるのは礼の力により、最後に楽の力によって自然に至善の地位に達するようになるのである。
著者の解説では、この章は学問をして材徳(ざいとく)を完全にする次第を述べたのである。と書かれていました。
感性を磨き、社会性を身につけ、心を豊かにするという、教育の段階があるのだと分かりました。


