子(し)、子賤(しせん)を謂(い)ふ。君子(くんし)なる哉(かな)若(かくのごと)き人(ひと)。魯(ろ)に君子(くんし)なくば、斯(こ)れ焉(いづく)んぞ斯(これ)を取(と)らん。
(訳)孔子が宓子賤(ふくしせん)を評して曰(い)われるには、「まことにりっぱな盛徳(せいとく)の君子(くんし)である、このような人は。しかし、もし魯国(ろこく)に君子が無かったならば、この人はどうして賢(けん)を尊び友を取ってこのような君子の徳を成就(じょうじゅ)することができよう。」
著者の解説では、子賤(しせん)が君子の徳を成したのを観(み)れば、賢を尊び友を取ることは学者の急務である。孔子が己(おのれ)に及ばぬ者を友とすることを戒(いまし)めたり、大夫(たいふ)の賢者(けんじゃ)に事(つか)え士(し)の仁者(じんしゃ)を友とすることを告げたのはこのためであろう。と書かれていました。
子賤(しせん)は、春秋時代の中国の儒学者・文官であり、孔子の弟子の一人です。本名は宓不斉(ふく ふせい)、字(あざな)を子賤と言います。ここでは、能力が高く立派なまさに君子というべき人は、同じような立派な人たちとの交際がなければその能力を得ることができないということが分かりました。


