曾子(そうし)疾(やまひ)あり。門弟(もんてい)子(し)を召(め)して曰(い)はく、「予(わ)が足(あし)を啓(ひら)け、予(わ)が手(て)を啓(ひら)け。詩(し)に云(い)はく、『戦戦(せんせん)競競(きょうきょう)として、深淵(しんえん)に臨(のぞ)むが如(ごと)く、薄氷(はくひょう)を履(ふ)むが如(ごと)し』と。今(いま)よりして後(のち)、吾(われ)免(まぬか)るることを知(し)るかな。小子(しょうし)。」
(訳)曾子(そうし)が病気になって死のうとした時、父母から受けた身体(からだ)を傷(きず)つけることがなかったのを喜んで、弟子たちを呼び集めて曰うには、「衾(しとね)を開いて予(わし)の足を視ろ。衾(しとね)を開いて予(わし)の手を視ろ。傷(きずつ)いた所があるか。予(わし)が身体(からだ)を完全に保つのは容易なことではなかった。詩に『戦戦(せんせん)として恐懼(きょうく)し、競競(きょうきょう)として戒慎(かいしん)し、深い淵(ふち)に臨(のぞ)んで墜落(ついらく)を恐れるようにし、薄い氷を履(ふ)んで陥没(かんぼつ)を恐れるようにする。』とあるが、予(わし)は平日(へいじつ)身体を完全に保つためにはちょうどこのように戒慎(かいしん)恐懼(きょうく)したのである。一日でも長らえれば、身体を傷つける患(うれ)いがあるが、今から後は、吾(わし)は傷(きず)つけることを免(まぬか)れることを知った。」と語り終って、又「弟子たち」と呼びかけて、己のように恐懼(きょうく)戒慎(かいしん)して一刻も身を保つことを忘れぬように警醒(けいせい)した。
著者の解説では、曾子(そうし)は、平日(へいじつ)、身体(しんたい)は父母から受けたものだからこれを毀傷(きしょう)するようなことはすまいと心掛けていたから、死ぬ時弟子に衾(しとね)を開いてこれを視(み)させたのである。と書かれていました。
曾子(そうし)が清廉潔白な生き様を誇り、死を恐れない心境であったことが分かりました。


