アキヒロ号のブログ
akihiro-go blog
本の紹介

雍也第六(28)

子貢(しこう)(い)はく、「如(も)し博(ひろ)く民(たみ)に施(ほどこ)して能(よ)く衆(しゅう)を済(すく)ふことあらば如何(いかん)。仁(じん)と謂(い)ふべきか。」子曰はく、「何(なん)ぞ仁(じん)にとどまらん。必(かなら)ずや聖(せい)か。堯舜(ぎょうしゅん)も其(そ)れ猶(なほ)これを病(や)めり。それ仁者(じんしゃ)は己(おのれ)(た)たんと欲(ほっ)して人(ひと)を立(た)て、己(おのれ)(たっ)せんと欲(ほっ)して人(ひと)を達(たっ)す。能(よ)く近(ちか)く譬(たとへ)を取(と)るを、仁(じん)の方(ほう)と謂(い)ふべきのみ。」

(訳)子貢(しこう)「もし人があって博(ひろ)く恩恵(おんけい)を民に施(ほどこ)して天下の衆人を済(すく)うならば、その徳は何(なん)と申されましょうか。仁と申されましょうか。」孔子「どうして仁どころか、必ず聖人の徳があって天子の位にいて始めて成(な)し遂(と)げられることであろう。しかし、堯舜(ぎょうしゅん)のような大聖人でさえ、なお容易にできないといって心に患(うれ)えているほどである。このようなむずかしいことをしなければ仁でないと思うならば、仁はますます求め難(がた)くなる。いったい仁者は人と己(おのれ)とを同体とみるものである。己が立とうと思えば、同時に人を立たせようと思い、己が達しようと思えば、同時に人を達しさせようと思うものである。仁者の心はこのようであるから、仁を求めるのに広く民に施(ほどこ)して能(よ)く衆を済(すく)うような高遠(こうえん)な事をすることがあろう。ただ能(よ)く近く己の欲する所をもって他人の心に比(くら)べ、他人の欲する所もまたこのようであると知って、己の欲する所を推(お)して他人に及ぼすのが仁を求める方法なのである。」

著者の解説では、初めは子貢(しこう)が仁を高遠な所に求めるのを抑(おさ)え、次は仁者の心を説き、末に仁を求める方法を述べている。と書かれていました。

自分が行動したいと思うときにまず他人の行動を助け、自分が到達したいと思うときに他人を成長させることが、仁であると分かりました。

[商品価格に関しましては、リンクが作成された時点と現時点で情報が変更されている場合がございます。]

論語新釈 (講談社学術文庫) [ 宇野 哲人 ]
価格:2,233円(税込、送料無料) (2025/10/18時点)