子曰はく、人(ひと)にして信(しん)なくば、其(そ)の可(か)なるを知(し)らず、大車(たいしゃ)輗(げい)なく、小車(しょうしゃ)軏(げつ)なくば、其(そ)れ何(なに)を以(もっ)て之(これ)を行(や)らんや。
(訳)もし人が心にもないことを言い、言ったことを踐(ふ)み行わないで、信という徳がないならば、彼はそれで好(よ)いと思っていても、我(わし)には何故(なにゆえ)にそれで好いのかわからない。人は信という徳があって始めて万事を行うことができるのである。信はかの大車(たいしゃ)の輗(げい)や小車(しょうしゃ)の軏(げつ)のようなものである。輗と軏がなければ大車小車を運行させることができないように、人は信がなければ何事を行うこともできないのである。
著者の解説では、輗と軏とは車と牛馬とを接続するもの。信は己と人とを接続するもの。輗と軏とがなければ車は牛馬と離れてしまって動かなくなる。信がなければ己は人から離れてしまって世に立ってなにもすることができなくなる。と書かれていました。

大車とは「重い物を載せる車で牛にひかせ、轅(ながえ)が二本ある」もので、小車とは「人の乗る車で馬にひかせるもの。轅が一本で弧状をなしている」ものだそうです。人間関係においては、信が非常に大切だと分かりました。