子曰はく、吾(われ)衛(えい)より魯(ろ)に反(かへ)り、然(しか)る後(のち)楽(がく)正(ただ)しく、雅頌(がしょう)各(おのおの)其(そ)の所(ところ)を得(え)たり。
(訳)わしが衛(えい)から魯(ろ)へ反(かえ)って、魯に伝わっている古楽(こがく)の残欠(ざんけつ)を補(おぎな)い、次第(しだい)を整えたので、楽(がく)の声音(せいおん)や節奏(せつそう)が正しくなり、楽中(がくちゅう)の雅(が)の詩や頌(しょう)の詩がそれぞれ本来の姿に復(ふく)して相(あい)混乱(こんらん)することがなくなった。
著者の解説では、魯(ろ)の哀公(あいこう)の十一年の冬に孔子が衛から魯に反(かえ)った。この時、周(しゅう)の礼が魯に在(あ)ったけれども、詩も楽(がく)もみな残欠(ざんけつ)して次第を失っていた。孔子は四方を周游(しゅうゆう)して、諸国で聞いた所と、周の礼に規定された所とを参照(さんしょう)考訂(こうてい)して詩と楽の説を知っていたから、晩年その道の行われないことを知って、魯に反って楽を正したのである。と書かれていました。
孔子が、魯の国の音楽の乱れを正したことが分かりました。


