子曰はく、大(だい)なる哉(かな)堯(ぎょう)の君(きみ)たるや。巍巍乎(ぎぎこ)たり。唯(ただ)天(てん)を大(だい)となす。唯(ただ)堯(ぎょう)之(これ)に則(のっと)る。蕩蕩乎(とうとうこ)たり。民(たみ)能(よ)く名(な)づくるなし。巍巍乎(ぎぎこ)として其(そ)れ成功(せいこう)あり。煥乎(かんこ)として其(そ)れ文章(ぶんしょう)あり。
(訳)古今(ここん)の天子(てんし)にすぐれて大きいことだ、堯(ぎょう)が天下(てんか)に君臨(くんりん)した様(さま)は。この世の中で天より大きいものはないが、独(ひと)り堯の徳がこれに斉(ひと)しいのである。故にその徳が広遠(こうえん)で、当時の人民は言語をもってこれを形容することができなかったのである。そのうちで見ることのできるものには、高大(こうだい)なる治績(ちせき)の成就(じょうじゅ)した者がある。光明(こうめい)なる礼楽(れいがく)制度の類がある。その徳に至っては何(なん)とも形容できないのである。
著者の解説では、この章は堯(ぎょう)の徳を賛美したのである。と書かれていました。
堯を最高の聖王として理想化し、天の意志を体現した統治者として孔子が高く評価していたことが分かりました。


