子曰はく、朝(あした)に道(みち)を聞(き)かば夕(ゆうべ)に死(し)すとも可(か)なり。
(訳)君子父子夫婦長幼の間から日常の行為に至るまで事々物々の間には当然行うべき道理がある。この道理を真に悟(さと)り得(う)るならば、生きては道理に順(したが)い、死んでも心が安らかで遺恨(いこん)はない。朝(あした)に道を聞いたならば夕(ゆうべ)に死んでも差支(さしつか)えないのである。
著者の解説では、この章は人は道を聞くべきものであることを述べたと書かれていました。
「朝夕」とは時間の甚(はなは)だ短いことを言っており、「聞く」とは耳で聞くのではなくて心で悟ることです。事物の真の道理を知ることができたのなら、いつ死んでも構わないものなのだと分かりました。