子曰はく、「吾(われ)未(いま)だ剛者(ごうしゃ)を見(み)ず。」或(ある)ひと対(こた)へて曰(い)はく、「申棖(しんとう)。」子曰はく、「棖(とう)や慾(よく)、焉(いづく)んぞ剛(ごう)を得(え)ん。」
(訳)孔子が「わしはまだ剛(ごう)という徳のある人を見たことがない」と曰(い)われたので、ある人が「お弟子の申棖(しんとう)という人は剛の徳のある人です」と曰(い)う。孔子「棖(とう)は嗜慾(しよく)の多い男だから剛の徳ある者ということはできない。」剛という徳は意志が強固(きょうこ)で何物にも曲げられない徳であるが、慾(よく)の多いものは慾にひかれて己(おのれ)の意志を曲げ易(やす)いからである。
著者の解説では、剛(ごう)という徳は、最も人の行い難(がた)い徳であるから、孔子が剛徳(ごうとく)あるものをまだ見ないといって歎(たん)じたのである。と書かれていました。
剛徳(ごうとく)とは、主に仏教用語として使われ、修行や善行によって得られる優れた特性のことです。優れた特性とは、修行や善行を積むことで身につく、精神的な強さや、他者を慈しむ心、智慧などのことです。剛徳によって嗜慾を捨てた状態とは、どの様なものなのだろうと思いました。


