アキヒロ号のブログ
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本の紹介

八佾第三(12)

(まつ)るには在(いま)すが如(ごと)くし、神(かみ)を祭(まつ)るには神(かみ)(いま)すが如(ごと)くす。子曰はく、「吾(われ)は祭(まつり)に与(あづか)らざれば祭(まつ)らざるが如(ごと)し。」

(訳)孔子が先祖を祭る時には先祖が我が前におるかのごとくに誠心(まごころ)をつくし、その他の神を祭る時には、神が我が前におるかのごとく誠心をつくす。孔子は平日「わしは自ら祭るべき時に、差支(さしつか)えがあって祭が出来ないため、他人に代らせるようなことがあると、物足りなくて、祭をしたような気がしない。」と曰(い)われた。

著者の解説では、祭は誠心(まごころ)を尽くすのが本(もと)であって、儀式は末(すえ)である。と書かれていました。

先祖を祭るときにはそこに祖先の霊を感じ、神前で手を合わすときは神様の存在を感じ、誠心をもって祭ることが重要なのだと学びました。

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