子曰はく、「管仲(かんちゅう)の器小(きしょう)なる哉(かな)。」或人(あるひと)曰はく、「管仲(かんちゅう)は倹(けん)なるか。」曰はく、「管氏(かんし)に三帰(さんき)あり、官事(かんじ)摂(か)ねず。焉(いづく)んぞ倹(けん)とするを得(え)ん。」「然(しか)らば則(すなは)ち管仲(かんちゅう)は礼(れい)を知(し)るか。」曰はく、「邦君(ほうくん)は樹(じゅ)して門(もん)を塞(ふさ)ぐ。管氏(かんし)も亦(また)樹(じゅ)して門(もん)を塞(ふさ)ぐ。邦君(ほうくん)両君(りょうくん)の好(こう)を為(な)すに反坫(はんてん)あり。管氏(かんし)も亦(また)反坫(はんてん)あり。管氏(かんし)にして礼(れい)を知(し)らば、孰(たれ)か礼(れい)を知(し)らざらん。」
(訳)孔子が「管仲(かんちゅう)は人物が小さい」と曰(い)うと、ある人が倹約(けんやく)の人は多く狭小(きょうしょう)に安(やす)んずるものであるから、人物が小さいというのは倹約のことをいうのではないかと疑って「管仲は倹約でございますか」と曰(い)う。孔子が曰われるには「倹約な者は住居を美しくせず冗費(じょうひ)を節するものであるのに、管氏(かんし)には三帰台(さんきだい)があって遊観(ゆうかん)の用に供(きょう)せられ、大夫(たいふ)の家臣は一人(いちにん)で数事を兼ぬべきものであるのに、管氏は一人(いちにん)に一事(いちじ)を掌(つかさど)らせている。どうして倹約だと曰われましょう。」ある人は倹約でないと曰われたので、更に礼を知る人は小費を惜(お)しまないで外を飾ることが多いので倹約でないように見(み)えるから、倹約でないのは礼を知ってるためであろうと疑って「そうしますと、管仲は礼を知っておりますか」と曰う。孔子が曰われるには、「諸侯(しょこう)は門内に小さい屏(へい)を設(もう)けて内外を遮(さえぎ)るが、管氏は大夫(たいふ)であるのに諸侯のように門に屏(へい)を設けて内外を遮(さえぎ)っております。諸侯が隣国の諸侯と好(よしみ)を結ぶ会をする時には坫(てん)という爵(さかずき)を受ける台を置いて、献酬(けんしゅう)して酒を飲んでしまうと、爵(さかずき)をその上に反(かえ)すのが礼であるが、管氏もまた諸侯と同様に献酬(けんしゅう)して酒を飲み終えると爵(さかずき)を坫(てん)の上に反(かえ)します。管氏が礼を知ってるというならば、誰(たれ)も礼を知らない者はありますまい。」
著者の解説では、孔子は管仲(かんちゅう)は斉(せい)の桓公(かんこう)を助けて覇業(はぎょう)を成(な)し、尊王攘夷(そんのうじょうい)を行なった人であるが、聖賢(せいけん)の大道(だいどう)を知らないから、身を正し徳を修めて王道を行わせることが出来なかったことを評して人物が小さいと曰ったのを、ある人は倹のためかと疑って問いを発したのである。ある人から、「斉(せい)は管仲(かんちゅう)を得(え)て覇業(はぎょう)を成したのに、孔子は小器(しょうき)だと曰ったが大器(たいき)はどんなものか」と問われて、揚雄(ようゆう)は「大器は規矩準繩(きくじゅんじょう)のようなものだ。まず自ら治めて後に人を治めるのを大器と謂う。」と答えた。と書かれていました。
冗費(じょうひ)とは、むだな費用のことで、三帰(さんき)とは、台の名前のことです。また、規矩準繩(きくじゅんじょう)とは、コンパス(規)、定規(矩)、水準器(準)、縄(縄)といった測量道具を用いて、物事を正しく測り、形や大きさを定めることです。倹約を知らない者は、礼節をわきまえない者で、たとえ功績があったとしても、器が小さいと言わざるを得ないのだと分かりました。