アキヒロ号のブログ
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近況報告

鯉のぼりを設置しました

いつもご覧いただきまして、ありがとうございます。

先日、我が家でも鯉のぼりを設置しました。

鯉のぼりの始まりは、平安時代の頃になるそうですが、その頃は武家が幟(のぼり)や旗指物を飾っていたようです。

江戸時代に入り、商人が幟の代わりに、中国の登竜門の故事から鯉を象ったものを掲げたところ、これが広まって風習になったとのことでした。

いずれにしても、鯉のぼりは中国の後漢朝時代について書かれた歴史書「後漢書」の故事「膺(よう)は声明(せいめい)をもって自(みずか)らを高(たか)しとす。士(し)(あ)り、その容接(ようせつ)を被(こうむ)る者(もの)は、名(な)(づ)けて登龍門(とうりゅうもん)となす」に由来しているとのことでした。

(訳)膺(よう)は宦官(しんかん)の横暴(おうぼう)に憤(いきどお)りこれを粛正(しゅくせい)しようと試(こころ)みるなど公明正大(こうめいせいだい)な人物であり、司隷校尉(しれいこうい)に任(にん)じられるなど宮廷の実力者でもあった。もし若い官吏(かんし)の中で彼に才能を認められた者があったならば、それはすなわち将来の出世(しゅっせ)が約束されたということであった。このため彼に選ばれた人のことを、流れの急な龍門(りゅうもん)という河(かわ)を登りきった鯉は龍になるという伝説になぞらえて、「龍門に登った」と形容したという。

公明正大(こうめいせいだい)とは、「誰に対しても公平で、裏表なく堂々としている」こと。司隷校尉(しれいこうい)とは、前漢・後漢・魏・西晋などの時代に置かれ、朝廷内の大臣(皇帝の親族を含む)の監察を行うことを職責とする官職。

鯉のぼりは、男児が難関を超えて健やかに育つよう願い設置するものなのだと分かりました。