アキヒロ号のブログ
akihiro-go blog
本の紹介

子罕第九(30)

「唐棣(とうてい)の華(はな)、偏(へん)として其(そ)れ反(はん)せり。豈(あに)(なんぢ)を思(おも)わざらんや。室(しつ)(こ)れ遠(とほ)ければなり。」子曰はく、「未(いま)だ之(これ)を思(おも)わざるなり。夫(そ)れ何(なん)の遠(とお)きことか之(こ)れあらん。」

(訳)「唐棣(とうてい)の花は無情なものであるけれども、ひらひらと動いてるところを見ると、情があるようである。まして我は有情(ゆうじょう)の人であるから、どうして爾(なんじ)を思い慕わないことがあろうか。ただ居(お)る所の室が遠くに隔(へだた)ってるから、思うけれども相見(あいみ)ることができないのである。」と古詩(こし)にあるが、孔子がこれを評して曰(い)われるには、この詩の作者は思うけれども遠いといってるが、わしに曰(い)わせれば、彼は未(いま)だ思わないのである。もし切(せつ)に思うならば何で遠いことがあろうか。人が道を思うのもこれと同様で、思えば得られるが、思わなければ得られないで、遠くに在(あ)る者のように見えるのである。

著者の解説では、この章は古詩(こし)を評して人が思うことを廃(はい)するのを恐(おそ)れる意(こころ)を述(の)べたのである。と書かれていました。

心が届かない距離を言い訳にしないようにしようと思いました。

[商品価格に関しましては、リンクが作成された時点と現時点で情報が変更されている場合がございます。]

論語新釈 (講談社学術文庫) [ 宇野 哲人 ]
価格:2,233円(税込、送料無料) (2026/3/18時点)