子(し)、漆雕開(しっちょうかい)をして仕(つか)へしむ。対(こた)へて曰(い)はく、「吾(われ)斯(これ)を之(こ)れ未(いま)だ信(しん)ずる能(あた)はず」と。子(し)説(よろこ)ぶ。
(訳)孔子が漆雕開(しっちょうかい)を仕えさせて民(たみ)を治めることを掌(つかさど)らせようとした。漆雕開(しっちょうかい)がこれを辞退(じたい)して対(こた)えて「私はまだ己(おのれ)を修(おさ)め人を治める理(り)を真に知り深く信じて疑うところのないまでになってはおりません。今は修業の最中で、仕える時ではありません。」と曰(い)った。孔子は開(かい)の語を聞いてその小成(しょうせい)に安(やす)んじないことを悦(よろこ)ばれた。
著者の解説では、篤(あつ)く学に志す者が能(よ)く聖人(せいじん)を悦(よろこ)ばせることを述べたと書かれていました。
漆雕開(しっちょうかい)は孔子の弟子で、字(あざな)を子若(しじゃく)といいます。自分の能力を認められても更なる高みを目指す漆雕開(しっちょうかい)のような謙虚な人物が、聖人に好まれるのだと分かりました。


