子曰はく、「参(しん)、吾(わ)が道(みち)は一(いち)以(もっ)て之(これ)を貫(つらぬ)く。」曾子(そうし)曰(い)はく、「唯(い)」子(し)出(い)づ。門人(もんじん)問(と)うて曰(い)はく、「何(なん)の謂(いひ)ぞや。」曾子(そうし)曰(い)はく、「夫子(ふうし)の道(みち)は忠恕(ちゅうじょ)のみ。」
(訳)孔子が曾子(そうし)を呼びかけて曰(い)われるには、「参(曾子の名)よ、わしの道を知っているか。わしが物に応じ事に処(しょ)するにはただ一つの道理をもってこれを貫通するのである。」曾子はこれを聞いてなんの疑うところもなく、速(すみ)やかに「唯(はい)」と曰(い)った。孔子が退(しりぞ)いた後、他の門人が曾子に「一体どういう訳(わけ)なのですか」と問うた。曾子が曰(い)うよう、「先生の道は忠恕(ちゅうじょ)の外(ほか)にはありません。」
著者の解説では、この章は孔子が自ら己の道を述べ、曾子がこれを説明した。と書かれていました。
忠恕(ちゅうじょ)とは、自分の良心に忠実であること、そして他人への思いやりが深いことです。孔子の道徳観念である、「仁」「礼」「義」「智」「信」の5つの徳をもって物に応じ、事に処することが重要なのだと分かりました。そして、それについて曾子からは忠恕の姿勢だと思われていたのだと分かりました。


