哀公(あいこう)、社(しゃ)を宰我(さいが)に問(と)ふ。宰我(さいが)対(こた)へて曰(い)はく、「夏后氏(かこうし)は松(しょう)を以(もち)ひ、殷人(いんひと)は栢(はく)を以(もち)ひ、周人(しゅうひと)は栗(りつ)を以(もち)ふ。」曰(い)はく、「民(たみ)をして戦栗(せんりつ)せしむ。」子(し)之(これ)を聞(き)いて曰(い)はく、「成事(せいじ)は説(と)かず、遂事(すいじ)は諌(いさ)めず、既往(きおう)は咎(とが)めず。」
(訳)魯(ろ)の君の哀公(あいこう)が宰我(さいが)に社(しゃ)のことを問うた。社は土地の神である。人は土地のお蔭(かげ)を蒙(こうむ)って生活しているから古(いにしえ)は国を建てれば必ず土地を祭る。土地は遍(あまね)く敬することが出来ないから、土を盛(も)って社としてこれを祭るのである。社にはその地味(ちみ)に適した木を植えて神木(しんぼく)としたから、宰我が対(こた)えて曰(い)うには、「夏(か)は安邑(あんゆう)に都(みやこ)して社(しゃ)を立てたから松を植えました。殷(いん)は亳(はく)に都して社を立てたから栢(はく)を植えました。周(しゅう)は豊鎬(ほうこう)に都して社を立てたから栗(くり)を植えました。古(いにしえ)は社で罪人を殺しましたから、民に戦栗恐懼(せんりつきょうく)する所を知らせるために栗を植えたのでございます。」孔子がこれを聞いて曰うには、「成就(じょうじゅ)した事は善悪を説いて止めさせることはできない。遂(と)げられたことは諌(いさ)め正して止(や)めさせることはできない。過ぎ去ったことは咎(とが)め立てをしても、無益だから、咎めもされない。」
著者の解説では、この章では孔子が宰我(さいが)の失言を責めたのだ、と書かれていました。また朱子の言を紹介し「宰我の答えは社を立てる本意でもなく、また時の君の殺伐(さつばつ)の心を啓(ひら)く恐れがあるけれども、もはや言ってしまった後で、取返しがつかないから、このように言って深くこれを責め、将来を謹(つつし)ませようと思ったのである」と書かれていました。
宰我は孔子の弟子で、弁才のあった人です。その宰我が、哀公に行き過ぎた説明をしてしまったのですが、孔子は起きてしまったことや過ぎてしまったことをとやかく言ったり諫めたりとがめることはしないと言って、宰我を戒めたのだと分かりました。