子曰はく、関雎(かんしょ)は楽(たの)しんで淫(いん)せず。哀(かな)しんで傷(やぶ)らず。
(訳)関雎(かんしょ)の詩は、后妃(こうひ)の徳は君子の配偶者となるべきものであること、まだこのような后妃を求めて得られなかった時には寝ても醒めても思っていて、寝られないでついに床(とこ)の上で幾度も寝返りする程に憂(うれ)えたこと、求めて得た時には琴瑟鐘鼓(きんしつしょうこ)等の楽器を奏して楽しんだことを述べているが、盛(さか)んに楽しんでも正(せい)を失わず、深く憂えても和(わ)を害さないのである。
著者の解説では、孔子が詩経(しきょう)の関雎(かんしょ)を評した語である。と書かれていました。また、朱子(しゅし)は孔子がこのように関雎(かんしょ)を賞(ほ)めたのは、「後の学者が、その詩の文句を玩味(がんみ)しその声音(せいおん)を審(つまび)らかにして詩人の心情の正しいことを識(し)ることを欲したのである。」と紹介していました。
朱子は、朱子学の創始者で、「論語」の新たな注釈をした人です。お祝い事や弔い事では、楽しみすぎず、悲しみすぎず、調和を考えることが望ましいのだと知りました。