子曰はく、夏(か)の礼(れい)は吾(われ)能(よ)く之(これ)を言(い)へども、杞(き)は徴(ちょう)するに足(た)らず。殷(いん)の礼は吾能く之を言へども、宋(そう)は徴するに足らず。文(ぶん)献(けん)足らざる故(ゆえ)なり。足(た)らば則(すなは)ち吾(われ)能(よ)く之(これ)を徴(ちょう)せん。
(訳)夏(か)の礼をわしはよく話すが、夏の子孫の杞(き)の国にはわしの言葉を証拠立てる材料が不十分である。殷(いん)の礼をわしはよく話すが、殷の子孫の宋(そう)の国にはわしの言葉を証拠立てる材料が不十分である。礼の記録や礼を知っている賢人が不十分だからである。もし十分あるならば、わしはよくこれを取ってわしの言葉を証拠立てるのに、誠に惜しいことである。
著者の解説では、孔子は夏殷の礼を述べて後世(こうせい)に示そうと思ったのに、記録もなく故老(ころう)もないために、後(のち)に伝えて人に信じさせることができなかったのは、どんなに残念なことであろう。と書かれていました。
故老(ころう)とは、昔からの事に通じた老人のことです。すぐれた制度や規範を持っていても、伝えるための人物や書物がなくては、消滅してしまうのだと分かりました。