アキヒロ号のブログ
akihiro-go blog
本の紹介

子罕第九(5)

(し)、匡(きょう)に畏(い)す。曰(い)はく、文王(ぶんのう)(すで)に没(ぼっ)したれども、文(ぶん)(ここ)に在(あ)らずや。天(てん)の将(まさ)に斯(こ)の文(ぶん)を喪(ほろ)ぼさんとするや、後死(こうし)の者(もの)(こ)の文(ぶん)に与(あづか)るを得(え)ず。天(てん)の未(いま)だ斯(こ)の文(ぶん)を喪(ほろ)ぼさざるや、匡(きょう)(ひと)(そ)れ予(われ)を如何(いかん)せん。

(訳)孔子が匡(きょう)で災難(さいなん)に遭(あ)って警戒(けいかい)したことがあった。門人(もんじん)が恐れたのでこれを慰(なぐさ)めて曰(い)われるには、「文王(ぶんのう)が崩御(ほうぎょ)しない時には聖人(せいじん)の道は文王の手に在(あ)ったが、文王の崩御(ほうぎょ)した後(のち)はこの道はわしの手に在(あ)るではないか。この道の興廃(こうはい)は専(もっぱ)ら天の意志によるものであるが、もし天がこの道を喪(ほろ)ぼそうとする意志があるならば、文王に後(おく)れて、死ぬこのわしが、この道に与(あずか)ることはできないわけである。しかるにわしはこの道に与(あずか)ることができるのであるから、天がこの道を喪(ほろ)ぼそうとする意志のないことがわかる。天がこの道を喪ぼそうとする意志がないならば、この道を伝えているわしを匡(きょう)の人(ひと)がどうすることができるものか。必ず天の意志に違(たが)ってわしを害(がい)することはできないであろう。」

著者の解説では、孔子が衛(えい)を去って陳(ちん)へ行こうとした時、匡(きょう)という処(ところ)を通り過ぎた。匡(きょう)の人は曾(かつ)て陽虎(ようこ)という者に苦しめられたが、孔子の容貌(ようぼう)が陽虎に似ていたので、陽虎が来たと思って兵をもって孔子を囲(かこ)んだ。門人(もんじん)が恐れたから、孔子がこれを慰(なぐさ)めたのである。と書かれていました。

孔子が、自己の使命感に身を委ね、恐れを捨てて立ち向かう信念の強さを持っていたのだと分かりました。

[商品価格に関しましては、リンクが作成された時点と現時点で情報が変更されている場合がございます。]

論語新釈 (講談社学術文庫) [ 宇野 哲人 ]
価格:2,233円(税込、送料無料) (2026/2/7時点)