アキヒロ号のブログ
akihiro-go blog
本の紹介

八佾第三(11)

或人(あるひと)(てい)の説(せつ)を問(と)ふ。子曰はく、「知(し)らず、其(そ)の説(せつ)を知(し)る者(もの)の天下(てんか)に於(お)けるや、其(そ)れ諸(これ)を斯(ここ)に示(み)るが如(ごと)きか」と。其(そ)の掌(たなごころ)を指(ゆび)さす。

(訳)ある人が禘(てい)の祭の意味を問うた。禘の祭は先王(せんのう)が己(おのれ)の身の根本に遡(さかのぼ)って恩を報じ、遠い遠い昔を思い慕(した)う心を表すのであるから、仁孝誠敬(じんこうせいけい)の至れる者でなければ、その深意を知ることは出来ないし、また魯(ろ)が天子でもないのに禘の祭をするのは礼に外(はず)れていることをあらわさなければならないから、孔子はこれを説明することを避けて「わしは知らぬ。もし禘の祭の意味を知ってる人があって天下に臨(のぞ)むならば、ここに視(み)るように容易に天下を治めることができる。」と曰(い)って、自分の掌(たなごころ)を指(ゆび)さして見せた。

著者の解説では、孔子は禘(てい)の祭の意味を知らないのではないけれども、一方には己(おのれ)の国の悪い事を言うのを避け、一方には話しても分からない人に話すことを辞して、「知らぬ」といったので、「知らぬ」の一語はこの章のうちで重い意味をもっているのである。と書かれていました。

仁孝誠敬(じんこうせいけい)とは、儒教で人が常に守るべきとされる五つの道徳、孝(親を敬い、大切にすること)、悌(兄弟や親戚を大切にすること)、義(正義を守り、誠実であること)、礼(儀礼を重んじること)、知(知識を学び、理解すること)を表す言葉です。掌(たなごころ)を指(ゆび)さすとは、物事が明白で疑問の余地がないことです。差し支えのある話をする時は、相手や場所を選んで言う必要があるのだと学びました。

[商品価格に関しましては、リンクが作成された時点と現時点で情報が変更されている場合がございます。]

論語新釈 (講談社学術文庫) [ 宇野 哲人 ]
価格:2,233円(税込、送料無料) (2025/4/10時点)