アキヒロ号のブログ
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本の紹介

八佾第三(5)

子曰はく、夷狄(いてき)もこれ君(きみ)あり。諸夏(しょか)の亡(な)きが如(ごと)くならざるなり。

(訳)文化の程度の低い夷狄(いてき)の国でもなお君があって、君臣の分は定まっている。わが住む中国の人たちが君のあるのを忘れて上下の分を乱しているのとはちがう。中国の誇りとすべきことは大義名分が明らかであることであるのに、今はかえって夷狄に及ばないのは慨歎(がいたん)すべきことである。

著者の解説では、「夷狄(いてき)の君(きみ)あるは諸夏(しょか)の亡(な)きに如(し)かず」と読んで「中国は礼儀が盛んで夷狄には礼儀がないから、夷狄に君のあるのは中国の君の無いのに及ばない」とも解されている。と書かれていました。

夷は東方、狄は北方のことで、夷狄とは中国本土の人が文化の低い国をさして言うのだそうです。また、諸は衆、夏は大のことで、諸夏とは人民が衆多で土地が広大なこと指し、中国本土やその諸侯の国々を指す言葉です。いくら壮大な中国であっても、上下関係を乱し、分をわきまえないのであれば、周辺の小さな国にも劣ってしまうのだと分かりました。

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