アキヒロ号のブログ
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本の紹介

述而第七(23)

子曰はく、二三子(じさんし)、我(われ)を以(もっ)て隠(かく)せりとなすか。吾(われ)(なんぢ)に隠(かく)すことなし。吾(われ)(おこな)ふとして、二三子(じさんし)に与(しめ)さざる者(もの)なし。是(これ)(きゅう)なり。

(訳)諸君(しょくん)はわしが隠していて残らず教えないと思っているのか。わしは諸君に何も隠してはいない。わしの日々(にちにち)のあらゆる動作(どうさ)は一として諸君に示すのでないものはない。これが孔丘(こうきゅう)の孔丘たるところである。

著者の解説では、この章は、諸弟子(しょていし)が、孔子の道が高尚(こうしょう)で容易に悟(さと)ることができないので、孔子が隠(かく)していて教えないのではないかと疑ったから、これを暁(さと)したのである。と書かれていました。

孔子が、知っていることを出し惜しみしたり、知っているふりをすることはなかったことが分かりました。

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