子曰はく、古者(いにしへ)言(げん)をこれ出(い)ださざるは躬(み)の逮(およ)ばざるを恥(は)づればなり。
(訳)古人(こじん)が言葉を軽々(かるがる)しく出さないのは、躬(み)の行いが言葉程に出来ないのを恥じるからである。
著者の解説では、北宋時代の文学者である范祖兎(はんそう)の言葉を用いて「君子が物を言うのは已(や)むを得(え)ずして後(のち)に言うのである。言うのが難(かた)いからではなくて、言う通りに行うのが難(かた)いからである。凡人(ぼんじん)は言う通りに行わないから、軽々(かるがる)しく言うのである。もし言行(げんこう)の不一致(ふいっち)を恥(はじ)として、言うことは行うところの如(ごと)くし、行うことは言うところの如くするならば、言葉を口から吐(は)き出すことは必ず容易ではない。」書かれていました。
昔のひとに寡黙な人が多かったのは、実行がなかなか伴わないことを恥じたからなのだと分かりました。


