アキヒロ号のブログ
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本の紹介

八佾第三(17)

子貢(しこう)告朔(こくさく)の餼羊(きよう)を去(さ)らんと欲(ほっ)す。子曰はく、賜(し)や、爾(なんぢ)は其(そ)の羊(ひつじ)を愛(を)しむ。我(われ)は其(そ)の礼(れい)を愛(を)しむ。

(訳)子貢(しこう)は、魯(ろ)で、当時、先祖の廟(びょう)に朔日(ついたち)を告げる礼が行われなくなったのに、まだ羊を毎月一匹ずつ供えているのを見て、無益(むえき)なことだと思って、これを止めようと思った。孔子が曰(い)われるには、「朔日を告げる礼はなくなっても、羊を供えることが残っておれば、いつかまた朔日を告げる礼の復興することもあろう。もし羊を供えることまで止(や)めてしまえば、この礼は永久に亡(ほろ)びてしまうだろう。賜(子貢の名)、おまえはその羊を費(つい)やすのを惜(お)しむが、わしはその礼の亡びることを惜しむ。」

著者の解説では、有名無実なことでも廃してしまわないほうが好(よ)い場合もある。と書かれていました。

慣例や通例を止める時には、その本来の意味を理解して、本当に止めるべきなのかを考えたいと思いました。

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