子曰はく、惟(ただ)仁者(じんしゃ)のみ能(よ)く人(ひと)を好(この)み、能(よ)く人(ひと)を悪(にく)む。
(訳)好(この)んだり悪(にく)んだりする心はだれにもあるものだけれども、多くの人は私情を伴(ともな)うから、好んだり悪んだりすることが道理に外(はず)れるのである。独(ひと)り仁者(じんしゃ)は心が公平であるから、能(よ)く好むべき人を好み、悪(にく)むべき人を悪むのである。
著者の解説では、仁者(じんしゃ)の心は鏡(かがみ)のようで、美しい物が来れば美しく映(うつ)り、醜(みにく)い物が来れば醜く映る。一点も私情がないから、好(この)み悪(にく)みが道理に当るのである。と書かれていました。
人を悪む時は、私情を伴わず、悪んでいるということを自分の中に認め、冷静に判断した上で、人付き合いをするのだと分かりました。