アキヒロ号のブログ
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本の紹介

八佾第三(1)

孔子(こうし)季氏(きし)を謂(い)ふ。八佾(はついつ)(には)に舞(ま)はす。「是(これ)をも忍(しの)ぶ可(べ)くんば、孰(いづ)れか忍(しの)ぶ可(べ)からざらん。」

(訳)魯(ろ)の大夫(たいふ)の季孫子(きそんし)が八列(はちれつ)でする舞楽(ぶがく)を己(おのれ)の家の廟(びょう)の庭で奏した。八列でする舞楽は天子でなければ奏されないのである。季子は諸侯(しょこう)の大夫でありながら、天子のするようなことをするから、孔子がこれを譏(そし)って「こんな僭越(せんえつ)なことを平気でするようでは、どんなことでもなすに忍(しの)びないことはなかろう」と謂(い)った。

著者の解説では、僭越な行いをして平気でいるようなものは、父や君を弑(しい)することもやりかねないものである。と書かれていました。

弑するとは「臣下が主君や親など目上の者を殺す」こと。僭越なことを許してしまえば、他のものもすべて許すことになってしまうことが分かりました。

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